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第7章  アキレスと亀のパラドックスにおける真の解法

第1節
アキレスと亀のパラドックスとの出会い
アキレスと亀のパラドックスとは小学校5年生のときに出会いました。それ以来、ひたすら考えつづけてきました。この問題の本当の不思議さは、こんな現実離れした問題なのに、誰もが簡単に理解できるところです。
第2節
パラドックスを唱えたゼノン
パラドックスを唱えたゼノンはどんな人だったのでしょうか。青白い哲学者ではなく、まるで革命家のような人だったようです。
第3節
ゼノンの唱えた4つのパラドックスとは何か
ゼノンはアキレスと亀のパラドックス以下、合計四つのパラドックスを唱えました。
第4節
アキレスと亀のパラドックスとは何か
アキレスと亀のパラドックスとは、アキレスが亀をぜったいに追い抜けないというものです。
第5節
無限の手続きはどのようにあらわれてくるか
たとえ、無限に見えるとしても実際はおいつくようになるのだということを等比級数の収束で解いてみましょう。しかし、この方法ではまったくパラドックスを解くことになっていないのです。
第6節
無限を遂行してしまうことの不思議
私が歩くとき、本当に無限を遂行してしまっているのでしょうか。考えれば、考えるほど不思議に思えてきます。
第7節
無限を遂行するとはどういうことか
無限を数え尽くすとはどういうことなのでしょうか。結局、無限を数えつくしたということを決定できないのではないでしょうか。
第8節
無限を遂行するためには何が必要か
私たちが現実において、無限を遂行しているように見えるのは、ボールのような個体を移動させることとは本質的に異なります。むしろ、水槽の水をくむことのほうがはるかに近いかもしれません。
第9節
可能的にのみありうる無限の分割
アリストテレスは、無限に分割しうる点とは、単に可能的にしかなく、それは、決して現勢的にあるのではないと言います。現勢的にあるとは、その点で、折り返す時などにはじめて見いだされるものだと言うのです。
第10節
運動そのものの分割と空間の分割
ベルグソンは運動そのものは決して分割されるものではないと言います。空間だけが分割されるのであって、運動は不可分のひとまとまりだと言うのです。
第11節
パースペクティブにおける現象としてのパラドック
ついに、この節でアキレスと亀のパラドックスの本質的な答えが提示されます。どうか読んでみてください。2500年間、だれも考えなかった解法です。
第12節
追いつこうとするとはどのようような事態か
アキレスは亀に追いつこうとしているのですが、結局、無限に追いつけません。では、そもそも追いつこうとするということはどのような事態なのでしょうか。
第13節
アキレスは亀に追いつこうとしていることを理解できるか
アキレスこそ亀に追いつこうとしているのですから、そのことをもっともよく理解しているのはアキレス自身だと思えますが、実は、そうではないのです。
第14節
アキレスが亀に追いつこうとしているのは誰が知りうるか
観客なら、アキレスと亀が競争をしているのを理解できるかもしれません。本当にそうでしょうか。実は、観客さえもそもそも競争がおこなわれているのかどうか決定できないのです。
第15節
追い抜くとはどういう事態か
追い抜くという事態はどのようなことを指すのでしょうか。追いつこうとするという事態においては亀もアキレスも停止していても可能でしたが、追い抜くという事態はそうではないでしょう。
第16節
アキレスと亀の競争中継
アキレスと亀が現実に競争をしたら、アキレスはどのように亀を追い抜くでしょうか。ここでは、スポーツ番組形式でお伝えしましょう。
第17節
アキレスは亀をどのように追い抜いたのか
アキレスが2500年の屈辱をついにはらします。亀がアキレスに追い抜かれるのです。
第18節
ゼノンが仕掛けた秘策
さすがゼノンらしい秘策が炸裂します。実はまだ競技が始まっていなかったのです。
第19節
アキレスと亀のパラドックスの相対性
ついにアキレスと亀のパラドックスが真実の姿を現します。
第20節
追いつこうとすることのまとめ
今までの展開が複雑でしたので、ここで追いつこうとすることのまとめをおこないたいと思います。
第21節
追い抜くということのまとめ
追い抜くということは、すれ違うことと区別が付かないのです。
第22節
分割のパラドックスにおいての無限後退の相対性
分割のパラドックスは無限後退のパラドックスですが、それは無限前進のパラドックスと同じ事態なのです。
第23節
飛矢のパラドックスにおける瞬間速度の決定不可能性
現代数学における瞬間速度は、じつは本当にひとつの運動体の軌跡を描いているのかどうか決定できないのです。もしかしたら無数の運動体の寄せ集めかもしれないのです。
第24節
ひとつの物体の運動を厳密に記述しえるか
飛矢のパラドックスはすでに解決されているT言われています。しかし、それは十分ではありません。運動が本当にひとつの物体の軌跡かどうか決定できないのです。
第25節
飛矢のパラドックスおける他者性
哲学史において、私はつねに私一般でしかありませんでした。パースペクティブにおいて現象する「この私」と「あの人」という他者性を確保しなくては、この飛矢のパラドックスの真の意味性が見いだされないのです。
第26節
アキレスと亀のパラドックスのむき出しにされたイメージ
アキレスと亀のパラドックスはどのようにイメージすれば、もっともパラドックスの意味を露わにできるのでしょうか。そのひとつの例を模索してみました。
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