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第13章 固有名の本質的意味

第1節
翻訳されない固有名詞の特性
名前などのような固有名は膨大な量なのに、決して翻訳されません。
第2節
固有名詞の各要素に意味づけできるか
固有名が翻訳されないのは、普通名詞のようにその機能の意味が同一なものが各言語において見いだせないからです。そもそも各固有名は意味においてあるわけではないのです。
第3節
固有名における記述可能性
固有名は、その全体を他のことばで言い換えることはできませんが、ある一面だけならば記述することができます。こうしたあるひとつの対象だけを名指すことができる記述を確定記述と呼びます。
第4節
現代論理学における確定記述の意味
現代論理学においては固有名は扱えません。そこで固有名を確定記述に置き換えて考えようとします。
第5節
存在論における固有名のあり方
ラッセルは固有名で名指せるものならすべて存在するという立場をとりました。しかしそこからはどうしても矛盾がでてきてしまいます。
第6節
論理的固有名とは何か
ラッセルは、固有名さえ確定記述なのだと方向転換して、ついに論理的固有名こそが固有名なのだとします。
第7節
「これ」や「あれ」の固有名性
ラッセルのいう論理的固有名も考えてみると、正しいような気がしてきますが、本当に正しいのでしょうか
第8節
論理的固有名の欠点
ラッセルの論理的固有名は基本的に完全な誤りです。しかしそこには多くの可能性が秘められています。
第9節
素朴な固有名概念における問題性
固有名はある対象を指し示すという素朴な考えでは、真に固有名については語れないのです
第10節
フレーゲとラッセルの論理
素朴な固有名概念から脱却するためにフレーゲとラッセルはある方法論を見いだしました。
第11節
フレーゲとラッセルの論理の修正
フレーゲラッセルの理論では、人によってある固有名に対してのイメージが違うということを吸収できません。そこで、一群の記述として修正してみたらどうでしょうか。
第12節
フレーゲとラッセルの論理の不可能性
フレーゲラッセルの理論では、結局、どのように修正しようとも、そもそも根本的に間違っているのです。
第13節
クリプキの指示の因果説
クリプキは固有名は人から人へと伝えられていく者だという指示の因果説をとなえました。
第14節
指示の因果説の無意味性
クリプキのいう指示の因果説は一見、正しいように見えるのですが、そこに他者性が見いだされない限り、無意味なのです。
第15節
他者を論理において導入するということの真の意味
他者とは、どのようなルールを設定してもそのルールが適用できるかどうかわからない存在なのです。
第16節
固有名詞と普通名詞の類似性
クリプキは普通名詞を固有名と同じように扱います。しかし、それは本当に矛盾なくできることなのでしょうか。
第17節
個物が先か、概念が先か
私たちは、概念によって個々のモノを見いだしているのでしょうか。個々のモノから概念を抽出しているのでしょうか。
第18節
固有名の概念のまとめ
次回から、私の哲学体系において、固有名がどのようなものかを探求して行くのに際し、ここまでの部分をまとめておきましょう。
第19節
固有名の個別性
すべての人が知っている固有名などあり得ません。どんな固有名にしてもかならず知っている人と知らない人がいます。この両者をいかに論理として見いだしていけるかを考えなくてはなりません。
第20節
固有名における確定記述の可能性
確定記述を可能性においてみることによって、確定記述の真の姿が見えてくるのではないでしょうか。
第21節
論理的固有名においての「これ」はどこにある物か?
論理的固有名とは、パースペクティブにおいてこそ見いだされるものなのです。
第22節
現実であるというのはどのような事態か
現実という理由だけで、決定できるものなどありません。現実さえ、可能的にあるだけなのです。
第23節
名指すということ
現実のに目の前にあるものを名指すことは簡単です。では、目の前にないものを名指すとはどのような事態なのでしょうか。
第24節
可能世界における普通名詞の変更
普通名詞は可能世界においては、日本語としての意味を失ってしまいます。それこそが普通名詞の特性なのです。
第25節
論理的固有名における固有名性
普通名詞は、論理的固有名と接続されることによって、固有名になるのです。
第26節
可能世界における普通名詞の変更
普通名詞どうしにおいてのレベルはそれが、どれだけ多くの範囲の固有名として成立するかにおいて決定されます。
第27節
固有名における場所性
固有名にも知っているものと知らないものがあります。その区別は、そのような「あの人」として見いだす「この私」が現象するかぎりにおいて、その固有名を知っていると言われるのです。
第28節
固有名における記述は何を意味するか
固有名における記述とは、「この私」において見いだされるものではなく、他者との会話において、その固有名にどのような意味を持たせようとしているのかの説明として意味を持つのです。それは決して真偽に関わるものではないのです。
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