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横井直高(よこい なおたか)

    プロフィール

 

1959年 誕生 私は静岡県の浜松市で生まれました。
1977年 大学入学

中央大学経済学部入学

大学1年に浜松から上京し、調布市のアパートで生活していました。そこは、もともと旅館だったところを改造もしないでアパートにしたので、ごく普通に見られる10部屋程度しかないような本当に小さな旅館という感じでした。ですから、お隣さんとは、ずっと続いている廊下に沿って、並んでいて、どの部屋もふすまを開けてはいるようなところでした。

私が大学1年のときは、マージャンばかりしていました。そうした中で、いろいろな大学生があつまっており、みんなで、いろいろなことを議論しあったものでした。

その中で、法学部の男がおれはやくざお抱えの弁護士になるんだと言って、みんなと議論しあったりしました。

また、思想的なことでも、よく議論しあい、無政府主義(アナーキズム)について、熱心に議論しあったりしました。

みんな、そんな思想的な議論に夢中になるのが楽しかったのです。ただ、私はそのような中で、何かとても孤立感を感じていました。私が本当に議論したいと思っていたのは、政治的な話ではなく、世界のあり方のようなものだったからです。

自分がここにいるということの不思議さ、世界とはなんだろうということばかり考えていました。

小説を読むのは好きだったのですが、大学4年のころから、ぜひとも自分でも小説を書いてみたいと思うようになりました。何度かチャレンジしたのですが、どうしてもうまく書けません。結局、自分には才能がないのだとあきらめていました。

このころ、自分としては、評論家になりたいなと思っていました。

このころは、本当に勉強ばかりしていました。学校の勉強ではありません。自分がしたい勉強です。家から一歩もでないで、ひたすら本を読み、自分なりに考えたことを、思想日記という帳面に書いていました。このころ、一生懸命、書いたことが、今の私の基礎になっていると思います。

それは哲学だけに限りません。心理学、経済学、数学など何でもです。というよりも、私が大学のとき、よく言われたのは、とにかく岩波新書を、片っ端から読みなさいという教えでした。私もそれを実践していたわけです。おかげで、幅広く興味をもてるようになりました。どんな分野もそれぞれ、とっても面白いなあということにも気づかせてもらいました。

いまでは、新書も各社から出されていて、本当にいい時代になったなあと思います。

 

社会人へ

社会人になって、2年目のことでした。昼休み、女子社員と洗い場で、雑談しているとき、小説を書いてみたいんだと言ったら、変に嘘をかくより、本当のことを書いてみたらとアドバイスされ、そうだなと思って、自分の過去を小説的に書いてみました。そうしたら、自分でも書けそうだという自信がわいてきました。

私は社会人になることを、とても恐れていました。自分のようなものに仕事ができるのだろうかという危惧があったからです。でも、いざ、働き出してみると、仕事というのも面白いものだなと思えてきました。仕事というのは、決して肉体だけで行うのではなく、もっと思想的なものなのだということにも気づきました。

私は、電車での通勤途中、ひたすら、三次元とはどのようなものなのかを考えつづけていました。三次元と一次元の違いはどこにあるのかということです。私は三次元を一次元において見ようとしていたのです。考え方は簡単です。長い糸をぐるぐると巻いて、ボールのようにすることができます。このボールのような形は、確かに三次元でしか見出すことができません。しかし、その三次元でしか見出されないはずのボールは、一次元的な糸によって、構成されているのです。すなわち、ボールは一次元において、ありうるのではないかと考えていたのです。

私を哲学へと導いたのは、なんと言っても、集合論の創始者、カントールでした。カントールの対角線論法は、私に強烈な印象をあたえ、私をそこに呪縛してしまいました。私がこの呪縛から脱出するには、どうしてもカントール集合論と真正面から対決し、徹底的にこの集合論の構造を解明することでしかありえませんでした。私は、この対決に何十年も費やすことになります。

しかし、会社員として働きながら集合論について考えつづけるというのは、とても異様なことでした。それでもやらなくては生きていけなかったのです。昼は、会社の仕事で疲れ、家に帰ってくると、哲学の本や数学の本を読み漁り、考えたことを、せっせと帳面に書くということをしていました。

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