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第14章 意識のあり方

第8

何を意識の発生とするか

 

 意識について考えようとするとき、意識の発生についての問題を回避することはできません。この意識の発生については、哲学においても、心理学においても、生物学においても論じられてきました。

 意識の発生については、まず以下の二点について考える必要があるのではないでしょうか。 1、意識の発生の時期

 2、発生の具体的様態

 0214002DAINOU.JPG - 8,634BYTESたとえば、大脳生理学では、予め脳の中に用意されているニューロンの相互結合パターンに従い、ニューロンの発火が脳全体にわたって相互作用連結になった時とされています。つまり脳の中に張り巡らされているニューロンが単独で発火するのではなく、あるひとつのニューロンの発火が大脳全体へと伝わるとき、意識の発生であると考えているのです。大脳のニューロンの全体がシステム化されたときといえるでしょう。さて、このような定義から、何が見いだせるのでしょうか。

 確かにこれによって、意識の発生のための時期については分かりますが、それが、その生物自身にとって、具体的にどのような事態なのかが、まったく分かりません。あるひとつのニューロンの発火が脳全体にわたって相互作用する時とは、具体的にはどのようになるときなのでしょうか。それは、一般に言われる判断が出来るようになったときを指すのでしょうか。障害物に当たってから、その跳ね返りとして動くのではなく、事前に察知して傷害物を避けようとする事態を指しているのでしょうか。

 大脳のなかで、そのように行われることが、具体的にどのような事態と結びついているのかを明確に示せないとするなら、それは無意味とは言わないまでも、説得力に欠けてしまうのはしかたないと思われます。このように考えると、脳のあり方の変化だけを論じてみても、意識の発生に対する納得いく回答はえられないと考えるべきではないでしょうか。

 では、脳の中ではなく、行為として、どのような状況が見いだせたなら、それを意識の発生と呼びうるのでしょうか。これは決して自明のことではありません。人によってずいぶんと意見が分かれるのではないかと思います。

 たとえば、前述のように何か障害物があたってから、それに跳ね返るようにして動いていたものが、積極的に障害物を避けるようになったとしたら、それを意識の発生と呼びうるでしょうか。このとき、なぜ障害物を積極的に避けようとする行動には、目の前に障害物が出現していることを認知して、それに対する、避けるという行動を判断し、選択し、行動したということ、このことにおいて、意識の発生を見ようという考え方です。

 自らの置かれた状況を把握し、それに対し、対処の方法を判断し、実際に行動するというこの一連の流れを意識の発生と呼ぶとするのは、かなり有力な考え方ではないかと思われます。

 しかし、このような意識の発生の定義には、つねに反論が予想されます。なぜなら、この程度のことならば、ロボットでも十分に実現可脳だからです。それほど高級なロボットでなくとも、現在なら、おもちゃ程度でも、

 状況把握 → 状況に対する判断 → 行動

 といった流れは十分に実現していると思われます。

 そうであるなら、おもちゃ程度のロボットでも、そこには意識の発生が認められると言えるのでしょうか。

 ロボットの例を持ち出す前は、何となく意識の発生というのなら、そのような事なのかなと思われるのですが、ロボットの話が出たとたん、なんだか正解ではないような気がしてきてしまうものです。なぜ、ロボットの例を持ち出した途端に、そのように思えてしまうのでしょうか。そこには、0214001SAKANA.JPG - 9,880BYTESやはりおもちゃのロボット程度でも実現してしまえるような段階で、意識の発生に言及するのは、あまりにも早すぎるという信念があるからだと思われます。

 同時に、やはり、私たちが意識の発生という問題を考えようとするときの動機も関係してくるのではないかと思われます。まず、確認として、現在の人間、すなわち私たちが意識をもっているという事態は疑いがないと思われます。もし私たちでさえ、意識をもっていないとするなら、そもそも意識という意味がまったく架空のものになってしまうでしょうから。同時に、私たちの意識の起源を問うているのに、その起源がおもちゃのロボット程度では、あんまりではないかという心理的抵抗もあるでしょう。

 私たちは、宇宙人のような誰かに操られているだけだということを信じている方には、地球生物のすべてに意識がないようになってしまうでしょうが。まあ、ここではそうした考えはとりあえずなしとして議論を進めていきたいと思います。

  私たち人間が意識を持っているのなら、どこかの時点で、意識が発生したときがあるはずだと考えるのは自然な流れです。しかし、このような問いに納得いくように答えるためには、さまざまなことを慎重に考えて行く必要があると思われます。この点については、次回で、じっくりと追求してみたいと思います。

 

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