前 へ | 第 9 章 目 次 へ | 次 へ |
|
||
ラッセルは、前回で紹介させていただきました自己言及性をパラドックスの根本原因として、この自己言及が決しておこらない方法を考えだしました。 それが、階層区分という考え方なのです。 それはこんなふうに行われます。例をあげながら考えてみましょう。 ・私の、昨日は学校に行ったという発言は偽である。 上記の文は、何をいっているでしょうか。まず私の、昨日は学校に行ったという発言という言明があり、その言明は偽であるということを述べています。つまりラッセルの階層区分において、私の、昨日は学校に行ったという発言がまず基本の文としてあり、その基本の文にたいして1階上の立場から、その発言はたしかに偽であると述べていると考えるのです。したがって、これはふたつの文に分けることができます。
・私は、昨日、学校に行ったという発言をした。 ・・・・・・基本の言明 ・上記の文は偽である。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1階上の言明 偽というのは、なにかの言明があり、それに対してはじめて真であるとか偽であるとかが言えるはずです。 これを自己言及文に対しても適用して、文を切り分けてしまえば自己言及性が消滅するのではないかとラッセルは考えました。 では、実際に自己言及文に対しておこなってみましょう。 ・この発言は偽である。 ↓ ・この発言は偽0である。 ・・・・・・・・・・・基本の言明 ・上記の文は偽1である。・・・・・・・1階上の言明 このように階層を区分することによってラッセルは自己言及性を解消できるのだと言います。すなわち、この発言は偽0であるというのは、意味がない文とされるのです。それは以下の理由からです。 まず、この発言という基本があります。 この発言・・・・・ 基本形(0段階) この基本形にたいして、偽であると言及しているのですから、ラッセルの階層区分では、偽であるというときの偽は階層を分けるために、偽0でなくて、偽1とならなくてはなりません。 「この発言は偽1である。」となる必要がある。 しかし、「この発言は偽である」というときの、この発言の内容とは「この発言は偽である」という全体にかかってしまう自己言及文なので、偽1ではなく、偽0になってしまうのです。 したがって、自己言及文は階層区分ができないので、無意味な文となります。 ここらへんは、なんだか分かりにくいですよね。パラドックスになれないと、何を言っているのだろうという感じになってしまうと思います。 ラッセルは結局、真とか偽といえるのは、基本に対して、一段上の立場からでしか判断できないのだと言っているのです。
| ||
前 へ | 第 9 章 目 次 へ | 次 へ |