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第1章  哲学とは何か

 第1節
そもそも哲学って何だろう?


そもそも哲学とは何でしょうか。日常でも意外とよく使われるこの言葉の意味はなんでしょうか。哲学のほかに宗教などでは悟りというのがあります。哲学するとは、この悟りを言葉で表現しようと悪戦苦闘することなのです。

 第2節
デカルトの徹底的な懐疑


哲学はどのように考えていったら哲学になるのでしょうか。だれでも私とは何なのかという哲学的な問いを発することができますが、そこから答えを見出すために考えようとしても、どのように考えていったらいいのか見当もつかないと思います。この哲学としての考え方をデカルトを見本にみてみましょう。

 第3節
「我思う、ゆえに我あり」


デカルトはついに「我思う、ゆえに我有り」を見出しました。それは疑って、疑って、ついに疑えないものを見出そうとする悪戦苦闘から生まれてきました。決して疑えないものとは、疑うこと自身だったのです。疑うこと自体は疑うことができません。もしこれも疑おうとするなら、無限に疑い続けなくてはいけなくなってしまうからです。
第4節
「我思う、ゆえに我あり」の我とは誰か?


デカルトが見出した「我思う、ゆえに我あり」においての我とは誰なのでしょうか。我とは我ではないかと思わず言いたくなる方もいらっしゃるかも知れません。しかし、我には二種類在るのです。この私だけに通用する我、人間一般に通用する人間一般としての我、さてデカルトが見出した我はどちらなのでしょうか。

第5節
哲学という学問の独自性

他の学問では、進歩ということがあたりまえのようにあります。ところが不思議なことに哲学にはそういうことが目に見える形でないのです。だから2000年前の哲学でも現在の最先端になることができるのです。結局、「私とは何か」という問いは、いつの時代も、問うその人こそが答えるべき問題なのです。
第6節
「私」から「この私」へ

私一般ではどうもうまく考えられないところが出てきてしまいます。そこで柄谷行人は私ではなく、私を誰にでも当てはまるような私一般ではなく、他のだれでもない「この私」として取り出そうとしました。
第7節
「この私」の論の進め方

柄谷行人はこの私を単独性という用語で取り出します。これは、一人、二人と数えられないまさに私自身を指し示していう、誰とも代えられないこの私のことを言っています。
第8節
柄谷行人にとっての他者問題

柄谷行人はなぜ、私一般ではなく、この私を取り出そうとしたのでしょうか。それはこの私自身をとりだそうとすることではなく、他者であるあなたをこそ見出そうとしてそのようにしたのです。私一般では、誰もが私になってしまって、あなたが出てこられないのです。
第9節
哲学という学問においての進歩とは

私一般では、あなたが抜け落ちてしまうし、この私にこだわると、あなたが宇宙人のようになってしまう。どのようにしたらいいのでしょうか。哲学の歴史は何を考えてはいけないかという資料だけは膨大に在ります。他の学問では考えられませんが、哲学にはこれもひとつの進歩なのです。
第10節
哲学の議論について

哲学には議論がつきものです。ですが、よく議論というとどうしたら相手を説得するかという側面ばかりが強調されてしまいます。しかし、哲学の重要な課題のひとつとして他者問題というのがあります。どうしたら人を理解できるのかという問題です。この問題が哲学の重要な課題であるなら、議論も相手を説き伏せようとすることではなく、どうしたら人と理解し合えるかという話し合いになるべきではないでしょうか。
第11節
フッサールの懐疑

フッサールはデカルトの徹底的な懐疑という方法論を批判的に継承しようとしました。まずデカルトの方法論を徹底的に批判することからはじめます。
第12節
デカルトとフッサールの発見したものの違い

フッサールはデカルトを批判的に継承しようと徹底的な懐疑を行います。そして、デカルトを疑っている我自身をあるとみなしてしまいました。ですが、フッサールは、現象こそがすべてなのだということを発見したのです。
第13節
フッサールの超越論的主観性
超越論的というのは、決して神について何かを言おうということではありません。他の学問が学問対象に対して直接に向かおうとするのですが、超越論的哲学の本質はそうした認識の仕方を考えようとするところにこそあるのです。
第14節
神的な哲学の終わり
19世紀までの多くの哲学が神を中心に構築されていました。しかし、ニーチェが神は死んだと高らかに宣言することによって、神の哲学は決定的に旗色が悪くなってしまいました。神を使えないということは絶対的なものを中心において、そこから展開することができないということです。ある意味で神のない哲学は中心を欠いた、ドーナツ型の哲学にならざるを得ないのです

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